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論文名(題名)
白き翼 鉄の星(前編) [しろきつばさ くろがねのほし(ぜんぺん)]2010.01.11


論文の概要(あらすじ?)
【】は論文の論者とその内容   は起こったこと/発見された事実等)
【宗像伝奇】”白鳥処女説話”という伝説の原点は中央アジア周辺と考えられ、ドイツからヨーロッパ全域、北方圏ではロシアからアメリカ大陸まで、南方は西アジア・インド・東南アジアから太平洋諸島まで類型の伝説が残っている。
伝説の波及は数千年前から始まったと考えられ、ルートから考えて、紀元前二千年前後のアーリア人の大移動がこの伝説を運んだとは間違いないと思われる。ただ、これが世界中に伝わっていった原動力が何かかは不明である。ただ、北方の伝播ルートは白鳥の”渡り”の分布とも重なっている。

島根県 斐伊川(ひいかわ)上流 多々良村(たたらむら)の伊香(いかご)家の裏の祠(ほこら)の陰から七星剣(しちせいけん)が見つかった。

【宗像伝奇】ギリシア神話のオリオンとプレアデスの話が現実の天体現象に基づいており、白鳥説話、羽衣伝説とも類似性があることから、プレアデスの神話の方が原型だったと考えられる。

多々良村の白鳥沼(しらとりぬま)に前出の祠とは背中合わせの正反対の位置に鳥居の跡が有った。

【忌部捷一郎】ヤマトタケルとは大和朝廷から派遣された征討軍の総称で、目的は異族を征服するだけではなく、製鉄技術集団”たたら”に導かれて鉄資源の探索を行っていた。オオクニヌシの国譲り、スサノオとヤマタノオロチと草薙剣(くさなぎのつるぎ)の神話、ヤマトタケルが斐伊川でイズモタケルを殺し出雲を制圧したという話は、全て出雲という産鉄地を強引に攻略した歴史を表している。

【宗像伝奇】日本に鉄器文化が入ってきたのは紀元前4世紀頃と言われており、白鳥処女説話が伝わってきたのとほぼ同時期である。

白鳥沼の干上がった湖底付近から隕石(隕鉄)が見つかった。


論文の調査地域(論文中に出てきた地域/場所等)
(1) トルコ ボズガキョイ村 ヒッタイト遺跡付近  (file.1 page 003)
ボガズキョイはトルコ共和国チョルム県ボアズカレ郡の小村でクズル・ウルマックに抱かれており、古代ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャの有ったところ。首都アンカラより東に145kmのアナトリア高原のほぼ中央部にある。ボアズキョイが紀元前16〜14世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャ(またはハットゥシャシュ)と確認されたのは、1906年のことであり、以来90年余り発掘はゆっくり続けられている。大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが発掘されている。(→引用1)
ボアズキョイは現在「ボアズカレ」と呼ばれている。(→参考1)
(2) 東亜文化大学 調査中
(3) 島根県 斐伊川上流 多々良村  (file.1 page 017)

(→引用2)


(→引用3)
・「斐伊川」について
 斐伊川は、島根県仁多郡横田町(2005年3月31日に仁多町と合併し現・奥出雲町となる)の船通山を源として、中国山地を下り、横田盆地を流れ、三刀屋川等の多くの支流と合流しながら、北上した後、出雲平野を東に貫流し、宍道湖に注ぎ、大橋川、中海、そして境水道を経て日本海に注ぐ延長約153km、流域面積2,070km の一級河川である。(左上図:「斐伊川の流域図と多々良村の推定位置」参照)
 
・「たたら」について
 「たたら」は元々ふいごを意味する言葉だが、鉄を製錬する時に使用することから、その鉄を製錬する炉も「たたら」と呼ぶようになったようだ。このことから我が国の鉄の生産地域として歴史的に有名な斐伊川上流の中国山地は「たたら」に非常に関係が深い場所であり、その名前の付く村があってもおかしくない場所ではある。
 「たたら」については、日立金属のホームページに詳しい説明がある。(→参考8)
 
・多々良村の位置
 「多々良村」の名称は、地図上には無いが、旧・横田町(現:奥出雲町)の西にある三成ダムの上流に国道314号と県道下横田出雲三成線を結ぶ「ふるさと農道」があり、その国道314号線の起点で斐伊川を渡る橋に「たたら大橋」の名前が付けられている。(→参考7)
 論文内の描写から宗像教授は東京近郊から航空機(ジェット機)で飛び(p15)、バスで奥出雲おろちループを通って(p16)、多々良村へ行っている(p17)ことから、羽田空港から搭乗して広島空港へ降り立ち、バスを乗り継いで多々良村に入ったと推測される。
 また、白鳥沼と呼ばれる隕石落下によるクレーターがあることと山間部であることから、旧・横田町市街東北に位置する、斐伊川の支流である山奥川の流域の山県辺りではないかと推定される。(左下図参照)


用語解説(+僕の勝手な解釈)
(1) ヒッタイト (file.1 page 003)
 ヒッタイトは、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。青銅器時代、最初に鉄を使い始めたことで知られる。紀元前1680年頃にヒッタイト帝国(または王国)を建国した。首都はハットゥシャ(トルコ・ボアズキョイ遺跡)。実際にヒッタイトで行われていた鉄の製法は、その滅亡まで秘密にされていたが、当時でも、鉄自体はごく稀に隕石から採取されていた。(→参考2)
 ヒッタイトによる鉄の製法も、隕石(隕鉄)からの鉄の採取方法も現在では推定でしかないが、ヒッタイト以前の紀元前18世紀頃には既に製鉄技術が存在していたことが発掘より明らかになっている。(→参考3)
 ヒッタイトの功績(?)は鉄を使用し始めたことではなく、隕鉄によらず、人工的に鉄を発明したことによるものであると考えられる。

赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏(→画像引用1) 
緑:古代エジプトの勢力圏
(2) ヒッタイト遺跡 (file.1 page 003)
 宗像教授が訪れたボアズカレ(旧ボアズキョイ)近くには、いくつかのヒッタイトの遺跡がある。そのひとつは、ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ。海抜1000mほどの丘陵地帯にある遺跡で、1906年ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見され、1986年にはユネスコの世界遺産に登録されている。(→参考1)
 また、この他スフィンクス門で知られるアラジュホュック遺跡やヒッタイト人にとって聖地だったヤズルカヤの屋外神殿跡もこのボアズカレのすぐ近くにある。(→参考4)
 論文中に記載のあるヒッタイト遺跡は、このどれかという言及は特には無いが、ハットゥシャの全景写真(→参考5)と冒頭の描写からハットゥシャの遺跡と考えられる。隕石の落下した場所はGoogleマップ(→参考6)の航空写真によるとボアズカレの南西約3kmのところにクレーター様の地形はあるが、詳細が不明なため、確認はできていない。
 
(3) 白鳥処女説話 (file.1 page 006)
 異類婚姻譚(いるいこんいんたん:人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称(→参考9))のひとつで、人間の男と白鳥との婚姻について語られた説話である。空から舞い降りて来る優雅な姿からか、白鳥はしばしば天女と同一視され、天女との婚姻については羽衣伝説(はごろもでんせつ(→参考10))と言われ、全国各地に残されており、滋賀県余呉町の余呉湖、静岡県静岡市清水区に伝わる三保の松原、京都府旧峰山町が「三大伝説」として知られている。
 なお羽衣伝説については、横浜こども科学館のホームページの天文民俗学のページに「天女の羽衣伝説リンク集(羽衣伝説のHP集)」がある。(→参考11)
 
(4) 白鳥の”渡り”(file.1 page 007)
 白鳥(はくちょう)はガンカモ目ガンカモ科のハクチョウ属5種とカモハクチョウ属1種の総称であるが、実際の”白鳥”の名に相応しい全身が白い鳥は、オオハクチョウ・コハクチョウ、そしてコブハクチョウの3種である。
 日本各地の公園の池などで良く見かけるのは、このうちのコブハクチョウで、元々はヨーロッパからアジアにかけて分布していたものが移入されてきたもので、”渡りの習性”はほとんど無い白鳥である。
 日本に渡ってきて越冬する白鳥の大部分はオオハクチョウで、アイスランドとユーラシア大陸の中・高緯度地域に広く夫分布している。
 日本で越冬する白鳥にはもうひと種類、コハクチョウがいるが、オオハクチョウより北のユーラシア大陸の高緯度地域一帯に分布しており、オオハクチョウよりやや小柄なため、より遠距離の渡りが可能だと思われる。
(→参考12)

 
(5) アーリア人の大移動(file.1 page 009)
・「アーリア人(Aryan)」について
 アーリア人はユーラシア中央部を出自とし、主にインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話す民族で、アーリア民族ともいう。本来はインド・アーリア人、イラン・アーリア人と、それらの先祖だけをアーリア人と呼ぶが、アーリアン学説(インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生したものとする学説)ではより広い意味でアーリア人という言葉を用いており、インド・ヨーロッパ語族に属する諸語を使う民族全般を指している。ヒッタイトは広義でのアーリア人に含まれている。
(→参考13)(→参考14)
 
・「インド・ヨーロッパ語族の移動」について
 前18〜16世紀ごろ、中央アジアから南ロシアのあたりにいた遊牧・牧畜民が大移動を開始し、ユーラシア大陸全域に大きな変動をひきおこした。これがインド・ヨーロッパ語族の移動である。このうち、南東にむかったアーリア人とよばれる一派はインド北部を征服し、定住した。南にむかった一派はペルシア人やソグド人となり、イラン高原に定着した。また、西方に移動した人々はケルト系・ラテン系・ゲルマン系・スラブ系などのヨーロッパ人となった。
 この大移動はオリエントにも及び、それまでの勢力地図を根元からくつがえした。小アジア(今のトルコ)に移動したヒッタイト人はバビロニア王国を滅ぼし、強力な帝国を建設した。彼らは鉄器をつかっていたことで知られており、やがてシリアのあたりまで進出してエジプトとも戦った。また、ミタンニはメソポタミア北部を、カッシート人はメソポタミア南部を支配するようになった。このようにオリエントにいくつかの国家が並びたつ状況はその後しばらくつづいた。(→引用4)(→画像引用2)
 
 宗像教授の述べている”アーリア人の大移動”は、この”インド・ヨーロッパ語族の移動”を示していると考えられる。
余談ではあるが、”イラン”は「アーリア人の国」という意味のペルシア語で、”アーリア”はサンスクリット語の「アリア(高貴な)」からきている。その「アリアナ(アーリア人の国)」の音が変わって”イラン”になったと言われてる。
 
(6) 民俗学(file.1 page 010)
 民俗学(みんぞくがく)は人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を総体的に説明する学問で、その調査手法としては、庶民の生活を総体的に把握するという目的を果たすため、農山漁村を中心とした集落に滞在し、聞き取り(聞き書き)調査や紙資料を含む文字資料(金石文、棟札など)の収集、建築物や民具など物質文化の記録、あるいは生業、共同労働、年中行事、人生儀礼などの場への参与観察、そして民俗誌の記述が主体となる。(→参考15)
 この民俗学の研究と普及および会員相互の連絡を図ることを目的とした日本民俗学会が1949年に発足し、現在、約2300名の会員を擁している。(→参考16)

(7) 七星剣
(file.1 page 012)
 七星剣(しちせいけん)は日本の直刀(刀身に反りのない真っ直ぐな形のもので平安時代後期以前に作られていた)のひとつ。名前の由来は、七星文つまり北斗七星が描かれていたことによる。七星文の他には雲形・三星文・竜頭などが描かれている。(→参考17)
 宝物として伝わる七星剣はいくつかあるが、特に、聖徳太子が所持していた言われる四天王寺伝来の七星剣は国宝となっている。また、正倉院には奈良時代の「呉竹鞘杖刀(くれたけさやじょうとう)」と呼ばれるものがあり、法隆寺金堂の持国天も模造七星剣(銅製)を持っている。(→参考18)
 これらとは別に、千葉県成田市稲荷山(とおかやま)の稲荷山遺跡から発掘調査による出土は初めての七星剣が発見されている。(→参考19)
 東亜文化大学の学生で宗像教授の民俗学の受講者のひとりであった伊香真奈(いかごまな)の父親が島根県の斐伊川上流の多々良村で発見して持参した刀が七星剣で、昴(すばる)が刻んであったが、正倉院所蔵の「呉竹鞘杖刀」にも北斗七星と三星が二つ、そして斜め3列の6星が刻まれている。(→参考18)
 後者の6星が実際に線で結ばれているという記述も写真も無いため確認はできないが、参考18の天文民俗学の七夕伝承の推論にもあるように北斗七星と昴(スバル)の関連は極めて深いと思われる。

(8) 星宿思想
(file.1 page 012)
 古代中国では、生命の根源である霊魂は星から来ると信じられており、地上世界と天界は密接に連動していると考えられていた。これが星宿思想である。このことから様々な「星宿(星座)信仰」が始まる。そして、星の動きで吉凶を占い、星を祀っては災禍を鎮め、福を招く呪術を展開した。特に北極星は、それを中心として星々が巡っているようにみえることから、宇宙の中心と考えられて、神格化して天帝(天皇大帝)と見なされていた。この北極星(北辰とも言う)の信仰に仏教等の思想が流入すると、これを妙見菩薩と称するようになった。

(9) 金屋子さん
(file.1 page 018)
 中国山地のたたら場では必ず金屋子(かなやごorかなやこ)神を祀っており、その本社は島根県安来市広瀬町西比田にあり、信仰は中国地方を中心に九州、四国の一部から遠く関東、東北の一部まで広がっている。
 金屋子神祭文では、このように言われている。
「大昔、金屋子神が高天が原より播磨国志相郡に天降りして、鉄作りを教え、岩石をもって鉄鍋を造られました。これよりその地は岩鍋と言われるようになりました。現在の宍粟郡千種町の辺りです。しかし、周囲に住み賜う山がなかったので、「我は西方を主とする神なれば、西方に赴き良きところに住まん」と仰せられ、白鷺に乗って出雲国能義郡黒田の奥非田の山に着き、桂の一樹に羽を休められ、この地で安部氏に鉄造りの技術を教えられました。」
 その後、金屋子神は安部氏によって代々祀られており、安部氏は神官としてのみならず、たたら技術の巡回指導も行ったという。金屋子神が男神か女神かははっきりしないが、たたら場では女神と言い伝えているようである。安部氏の子孫で金屋子神社の宮司である安部正哉氏によれば「金屋子神は通常女神とされるが、それはこれを祀るのが女(ヲナリ)であったからで、もとは若々しい男神であった」と書かれている。金屋子神の実態についても八幡神、天日槍、卓素、須佐之男命、金山彦命など諸説があるが、いずれにしろ、金屋の人々が本来信仰していた鍛冶神が金屋子神であり、彼らが金屋子信仰を各地に広く散布し、安部氏がそれを今のように形造ってきたのであろう。(→参考8)
 なお、この”金屋子神”の説明文の引用を行った”たたらの話”のホームページを開設している日立金属(株)安来工場でも、この金屋子神社を祀っている。

(10) 昴
(file.1 page 020)

 昴(すばる)は、星座・おうし座に含まれる散開星団プレアデス星団の和名。すまるともいう。漢語では「ぼう」と読み、天体・プレアデス星団を示す場合に「昴星」(ぼうせい、すばるぼし)と表記することもある。中国では星座の一つであり、これを中心とした領域は天の赤道帯を二十八分に区分(二十八宿)してできた星宿名のひとつとなっている。星宿名であることを示すため昴宿と表記する場合もある。(→引用5:文章と下右図)

 *おうし座(右図)とM45プレアデス星団(左図)

(→画像引用3:左図)
   蛇足になるが、富士重工業(SUBARU スバル)のロゴマークはこのプレアデス星団の6つ星を表している。

(11) アッシリアの粘土板
(file.1 page 020)
    アッシリア(Assyria)は紀元前7世紀にメソポタミア…現在のイラク…北部に建国された王国で、初期の首都はアッシュールで、その後ニネヴェに遷都したとされている。アッシリアは数十年の間にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いたが、圧政の影響で支配民族の反抗を招き滅亡した。その偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。
 ニネヴェには世界最古の図書館があり、そこから多くの楔形文字の書かれた粘土板(Assyrian Clay tablet)が発掘されている。この粘土板には、星などに関する記述も多く、古代の天体の状況を解明することにも役立っている。
(→画像引用4)
150年前にオースティン・ヘンリー・レイヤードがニネヴェで発見した円形の粘土板
5000年以上前に起こった小惑星の衝突について記載されている(…らしい)

(12) オリオンとプレアデス
(file.1 page 021)
 ギリシア神話の中でこのプレアデスは、巨神(テイタン)族のひとりアトラスと、水のニンフ、プレイオネとの間に生れた七人姉妹であると言われている。一番明るい星は、アルキオネだが、肉眼で六つの星しか見る事ができないのは、プレアデス姉妹のエレクトラが、トロイアの都が無残に滅びていくのを見ていられず、髪をなびかせて空を駆け巡り、彗星となって姉妹のところへ戻らなかったからと言われている。六つの星の中で一番光の弱い一つは、プレアデス姉妹のメローペである。
 プレアデス七人姉妹の中のマイアは、ゼウスに愛されて、オリュンポスでも、重要な神であるヘルメスを生んだが、この姉妹はそれぞれに愛らしく、美しい乙女達であった。姉妹達は、月の女神アルテミスに仕え、ポイオティアの森に住んでいた。彼女達は月の美しい夜になると森の中の広場で、月の光を浴びながら美しく舞い踊るのだった。
 ある月の輝く夜、プレアデス姉妹が踊っているところへ、狩りの途中のオリオンが通りかかり、美しい女性に目のないオリオンは、もっとよく見ようと、姉妹達に近づいて行った。それに気がついた姉妹達は驚いてしまい、森の奥深くへ走って逃げたが、狩人であるオリオンは獲物を追うように、どこまでも追って行った。追いつめられたプレアデス姉妹は、女神アルテミスに救いを求め、七羽の白い鳩にしてもらって空高く飛び去り難を逃れた。これが天上に昇って星となったプレアデス星団だと言われている。

(13) ヤマトタケル coming soon…


未解決事項(残された謎)
coming soon…


引用並びに参考の一覧
(基本的にはリンクを貼っていますが、連絡が取れない等で相手側の承諾の確認できないものはURLを記載しています。)
引用1:「ボアズキョイ」(2007年5月6日 (日) 16:15  Lovelessの版)『ウィキペディア日本語版』
引用2:斐伊川水系河川整備基本方針(国土交通省河川局 河川整備基本方針 > 斐伊川水系)
   → http://www.mlit.go.jp/river/gaiyou/seibi/hii_index.html
引用3:国土地理院・ウォッちず 地図閲覧サービス(試験公開)
   → http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
参考1:「ハットゥシャ」(2007年4月24日 (火) 15:54 YonaBotの版)『ウィキペディア日本語版』
参考2+画像引用1:「ヒッタイト」(2007年4月24日 (火) 05:36 Chobotの版)『ウィキペディア日本語版』
参考3:「鉄」(2007年5月8日 (火) 06:21 AlleborgoBot の版)『ウィキペディア日本語版』
参考4:The Historic city : 「ボアズカレBOGAZKALE」の項に遺跡等の取材記録や写真があります。
参考5:スパークリング・トルコ 2001年5月 : ハットゥシャの全景写真やマップがあります。
   → http://homepage1.nifty.com/endow/all_turkey/all_turkey_main/all_turkey_main.htm
l
参考6:Google マップ : Bogazkale付近の航空写真 : ハットゥシャの遺跡やヤズルカヤの屋外神殿跡が確認できます。
参考7:「たたら大橋」島根県 : 横田西・加食雨川ふるさと農道:たたら大橋の位置図と写真があります。
   → http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/infos/douro_kaitsu/noudou/kazikiamekawa.html
参考8:たたらの話(日立金属のホームページ)
参考9:「異類婚姻譚(いるいこんいんたん)」(2007年5月18日 (金) 10:28 Greenland4の版)『ウィキペディア日本語版』
参考10:「羽衣伝説(はごろもでんせつ)」(2007年5月4日 (金) 07:48 663highlandの版)『ウィキペディア日本語版』
参考11:羽衣伝説のHP集(横浜こども科学館のホームページの天文民俗学のページ・テーマ別リンク集)
参考12:「ハクチョウ」日本メール・オーダ社刊・動物の大世界百科・第15巻 p2835
参考13:「アーリア人」(2007年1月8日 (月) 17:36 Onverwachtの版)『ウィキペディア日本語版』
参考14:「アーリアン学説」(2007年2月11日 (日) 07:29 五代雄介の版)『ウィキペディア日本語版』
引用4:The Purple Chamber > 世界史講座 > 3.文明の曙
画像引用2:「インド-ヨーロッパ族の移動」一橋出版・図解 高校世界史 1990年 p7
参考15:「民俗学」(2007年6月2日 (土) 14:54 Fryed-peachの版)『ウィキペディア日本語版』
参考16:日本民俗学会ホームページ
参考17:「七星剣」(2007年6月6日 (水) 20:46 220.213.102.250の版)『ウィキペディア日本語版』
参考18:横浜こども科学館ホームページ・天文民俗学・七夕伝承・七星剣
参考19:千葉日報 2007年3月9日の地域ニュース「直刀は「七星剣」だった 刀身に北斗七星の象嵌 成田・稲荷山遺跡」
  → http://www.chibanippo.co.jp/_inc/backnumber/news/chiiki/070309.php
引用5:「昴」(2008年6月25日 (水) 03:21 レッドバロンの版)『ウィキペディア日本語版
  画像引用3:Yahoo!きっず星空「星座の事典 おうし座」 
  画像引用4:Christians Of Iraq  
 

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